3月17日(火)は一気に春めいて、引きこもり気質の自分も出かけたくなる陽気。
冬に新調したタイヤを長距離で試したいのもあって、自転車でくらがり渓谷へ、
そこから本宮山へは当然ながらの山歩きを楽しんできました。

本宮山は3年4カ月ぶりのみたび。いいかげん電車で行って表参道を登るルートも
やっておきたい気持ちもあるのですが、自転車ならタダですからね…また自転車。
電車ならある程度は時間を守らないといけないけれど自転車なら自由、
ダラダラと1時間押しの9時半前に自宅を出発。

くらがり渓谷までは2時間少々。ジャケットなしでもちょうどいい気候。
ちょっとした峠道も難なくクリア、タイヤもいい感じ?快適な自転車ツーリング。
途中、前回気になった滝山城址に道草で30分ロス、山登る前に正午回っちゃった。

今回は渓谷沿いの林道を登りに。渓流の美しさに気分も洗われますが、
林道歩きはつまらない。汗そんなにかかず楽なのはいいとしても。

馬の背の尾根道を登って山頂手前の駐車場に出ると、何?観光バスが3台も。
13時半過ぎ、いやな感じを抱きつつ頂上へ行けば、うわー、中学生の遠足だー!!
逃げるように砥鹿神社奥宮へ。こっちは静かでしたが、今度は砥鹿神社の裏手の広場に
生徒が集まり出したので、入れ替わるように本宮山頂上(789m)に再び。

14時過ぎちゃいましたがカップヌードル&コンビニおにぎりの昼食。
相変わらずの巨大アンテナ主張しまくる残念な山頂で、遠景かすんで海もぼんやり。
おまけに砥鹿神社のほうでは遠足中学生がレクリエーションなのか
拡声器でクイズみたいなことやっていて騒がしい。

14時半過ぎ、山頂北側に進路を取り林内下山道で下山。
こっちの道は今は歩く人が少ないのか、柵が道を遮っていたり、斜面が崩れていたり、
展望も利かないけれど、山道を歩く感じは楽しめるので林道よりはいいです。
そういえば、登りのときも見たのですが、砥鹿神社の名に違わず?
シカがけっこういますね!いずれも急斜面を駆け逃げてゆきました。

16時過ぎにはくらがり渓谷の駐車場に戻り、自転車で来た道を帰り。
途中寄り道で前回同様ナイトランに。さすがにエネルギー消耗していたのか、
コンビニで買い食いした安いドーナツがこの日一番うまく感じた〜。


3回目にしては添え書きもろとも多くなってしまった、写真コーナー。


普段使いのクロスバイクのタイヤ、これまでパナレーサーの「ツーキニスト」でしたが、
経年劣化でサイドがささくれる問題が。で、同じくヘビーデューティー用途で有名な
シュワルベの「マラソン」を新調。乗り心地なんてわかるレベルじゃないですが。


滝山城址の説明文。前回ここを見たとき、「こんなところまで武田!?」と思ったが、
地図を再確認すると、奥平氏の本拠だった作手の亀山城は山を隔てるもののすぐ、
つまり奥三河にほど近く、武田の軍勢が迫り来るのも納得。でもここまで来ると、
岡崎城へ攻めるのにも現実味。徳川側からしたら脅威だったに違いないでしょう。

 
滝山城址の案内板の奥にある滝。     入ってすぐ急斜面を登った上にある城址碑。

 
城址めざして登ったけれどわからず途中で引き返し。 男川沿いの民家の梅がきれいで。


くらがり渓谷の駐車場脇にある不動の滝。

 
紅葉の名所のくらがり渓谷ですが、紅葉じゃなくても気持ちがいいです。


水がきれいだ…。

 
渓流が絵になります。        まぼろしの滝。細いですが昨日の雨のおかげか。

 
右の近道をチョイス。   急登の尾根道はコンクリートで固めてあり苔で滑りやすい。


天の磐座(国見岩)。

 
スチールの手すりがある女道を下って突き当たり、国見岩の下に位置する岩戸神社。
祭壇横に立ちはだかる岩には以前は鎖があって、こっちが男道にあたるのでしょう。
鎖があった当時も「無理」と思ったけど、鎖のない今はもうチャレンジャーいない?


山頂が遠足中学生でいっぱい!!遠足なら下から歩いてこいよな…。


砥鹿神社奥宮。杉の大木群が見事。


あらためて本宮山頂上。


お初の「カップヌードルしお」は洋風でおいしかったです。


展望は春かすみで白く海もぼんやり。電線…観光バス…。


ちなみに、ここからじゃないですが当然この時期に富士山は見えませんでした。

 
忌み嫌われる巨大アンテナですがなぜか撮ってしまうのは砥鹿神社の電波の力か。
下山途中振り返ってアンテナ群。相変わらず天に触手を伸ばしています(芥川)。


山頂北側の尾根道を進み道路を横断し林内下山道へ。


帰りの男川沿いでも梅が香り。


ちょっと寄り道(ちょっとじゃなかった)、旧赤坂宿に位置する『大橋屋』さんは
東海道沿いでは江戸時代から続く唯一の旅籠でしたが、先日3月15日をもって
営業を終えたとのことで、見ておきたくなって。残念ですがこれも時代の流れ。
今後は豊川市に譲渡されたうえで一般公開されることになるようです。