家族を破滅に追い込まれ自らも不遇の身、恨みを募らせた彼は、
その原因となった宗教団体とつながる政治家に対し犯罪行為に及びました。

最初は個人的な恨みを晴らすいわゆる“無敵の人”かと思ったのですが、
この凶行によって宗教団体と政治家の関係性を明るみにし、
問題提起がなされ議論の対象に引っ張り出した…

彼がそこまで見越し望んでいたのかはわからないけれど、
一石を投じたことにより波紋は広がり世の中を動かしており、
有意義な結果になっているのではないかと、そう思えてしまうのです。

そのあたり何も知らなかった無意義な凡人からすると、正直いって感嘆を禁じ得ず。
もちろん犯罪者には罪を償ってもらわなければなりませんが。

この件であらためてわかったのは、やはり宗教は“宗教屋”で利のある信者以外救わず、
政治家は“政治屋”でまずは自分の当選ありき。到底信用などできない連中だってこと。