現在のいわゆる“極刑”は死刑です。殺人者などには死刑が妥当でしょう。
被害者遺族がそれを望んでいるのならなおのこと。

しかし、「死刑は極刑か」?…そう思ったりもするのです。
昨日など、「光市母子殺害事件」で被告人に死刑判決が下された同じ日に、
「死刑になりたい」と殺人を犯したというニュースが報じられていました。
そう、世の中には「死にたい」と思っている人が案外いるのです。

ほとんどの人は「死にたくない」と思って生きていますが、
「死にたい」けれど、死ねなくて、生きている人もいて…
「生きることは苦しいこと」だと、そう思うのです。

死刑についても、死刑反対だとかそういうわけでなく、
「死んでしまえばそれでしまい」、だと思いませんか。
いい人ぶっていえば、生きて罪を償っていただきたい。
正直にいってしまえば、“生き地獄”を味わっていただきたい。
人権を、希望を奪われて生きなければならない苦しみを…

ここから先は妄想です。

願わくば、凶悪犯罪者には“目には目を”。被害者と同じ苦しみを、恐怖を。
しかし殺しません。そのうえに、身体の部位や機能をじわじわと剥奪。
普通なら途中で自ら死を選ぶことでしょう。しかし死なせません。
発狂しようとも生かします。苦しみながら生きていただきます。

もちろんこんなことは許されていませんから、ほんとただの妄想です。